3. 顕微鏡の発明
顕微鏡の発明は1590年、オランダ・ミッデルブルクMiddelburgの眼鏡職人であったハンス・ヤンセンとその息子ツァハリアス(図5)Hans & Zacharias Janssen父子によるとされています。2つのレンズを組み合わせた複式顕微鏡でした。
一方、望遠鏡も1608年、ヤンセン家の近所で同じ眼鏡職人であったリッペルスハイ(リパーシー)H. Lippersheyが発明したとされています。翌年にはガリレオGalileo Galilei(イタリア)が自作の望遠鏡(凸の対物レンズ・凹の接眼レンズを組み合わせたガリレオ型)によって数々の天文現象を発見するという偉大な成果をあげました。この報告を受けたケプラー J. Kepler(ドイツ)は1611年に「屈折光学 Dioptrice」を著し、その中で望遠鏡(共に凸の対物・接眼レンズを組み合わせたケプラー型)と共に顕微鏡の理論も述べています。またフランスの偉大な哲学者、デカルトR. Descartesは、その著書「屈折光学La Dioptrique」(1637年)で、反射型集光器と拡大レンズを用いた2種の顕微鏡のアイデアを記述していますが、製作するまでには至りませんでした。
発明当初の顕微鏡は、十分な倍率と性能がなかったため、科学のための道具というよりも、「驚き鏡」的なおもちゃとして使われることが多かったようです。顕微鏡による初期の科学的成果としては、1658年スワンメルダムJ. Swammerdam(オランダ)による昆虫の解剖観察や蛙の血球の発見、および1660年マルピーギM. Malpighi(イタリア)による蛙の肺の毛細血管の発見などが挙げられます。こうした中で、初期の顕微鏡の価値を一気に高めることになった人物として、フック及びレーウェンフックの二人が登場します。
ロンドン王立協会(1660年設立)の物理学者、ロバート・フックRobert Hooke は自ら製作した複式顕微鏡(図6)を使って様々な動植物を観察し、1665年に「ミクログラフィア Micrographia」(図7:扉絵)を発表しました。
フックは画才もあったため、「のみ」(図8)や「しらみ」など118枚の精緻な観察図版を収録したこの出版物は大変な驚きと評判を呼び、当時のベストセラーになったそうです。またこの中には、「細胞(cell)」の発見となったコルクの小孔の図(図9)も含まれています。
一方、オランダ・デルフトDelftの呉服商アントニー・ファン・レーヴェンフックAntony van Leeuwenhoek (図10)は、1670年ころから一つの小さいガラス玉レンズを使った単式顕微鏡(single microscope、図11・複製:日本顕微鏡工業会所蔵)を数多く作りました。この中には、単式にもかかわらずフックの複式顕微鏡(150倍程度)よりも高い266倍もの倍率をもち、解像力もずっと優れたものもありました。彼は友人の医者の薦めもあって、これらにより発見したものを1673年以降ロンドン王立協会へ報告しました。王立協会にいたフックもこの成果を高く評価し、彼を協会の特別会員に推挙し、レーヴェンフックからの報告は、協会発行の機関紙にスケッチ付きの手紙という形で載せられました。
こうして水中の微生物(図12:ボルボックス)やバクテリア、赤血球(1674年)、犬と人の精子(1677年:図13)、酵母(1680年)、など生命科学の基礎となる数々の発見が公開され、それは40年間もの間続いたということです。高性能とはいえ、単レンズ顕微鏡でここまで精細な記録を残した彼は、人並み外れた視力と執念を持っていたに違いありません。彼の顕微鏡は構成がシンプルですが大変見づらく、一般に受け入れらることはありませんでした。そして1723年レーヴェンフックの死から100年余りもの長い間、複式顕微鏡が大幅に性能向上するまではこの顕微鏡を超える性能のものは現れませんでした。この間、ベーアK.E. Baer(エストニア)によるヒト卵子の発見(1828年)やブラウンR. Brown(イギリス)による細胞核の発見(1831年)など優れた成果は、いずれも単式顕微鏡によるものでした。
17世紀から19世紀初めに掛けて、顕微鏡はもっぱら貴族や富裕階級らの高尚な趣味や飾り物の対象として需要がありました。この時代の顕微鏡製作者としては、イタリアのカンパーニJ. Campani(17世紀後半:図15)、そしてイギリスのマーシャルJ. Marshall(1700年前後:図16)、カルペッパーE. Culpepper(18世紀前半:図17)、カフJ. Cuff(18世紀中盤:図18)、マーチンB. Martin(同:図19)、アダムス父子(共にG. Adams、18世紀中盤〜後半:図20 国王ジョージ三世に献上した銀製顕微鏡)などが挙げられます。装飾性はもとより、メカニカルな部分や真鍮などの材料部分で様々な工夫と進歩が見られましたが、性能の向上にはレンズの進歩、とりわけ色収差と球面収差の改良という大きな技術的課題を乗り越える必要がありました。