顕微鏡の歴史

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7. 日本の顕微鏡の誕生と発展

7-1 江戸・明治時代の顕微鏡

日本における最初の光学機器は、1551(天文20)年宣教師ザビエル F. Xavier らが周防(山口)の国主・大内義隆に贈った眼鏡とされています。また望遠鏡もその発明からわずか5年後の1613年にはイギリス人により日本へもたらされ、徳川家康に献上されました。望遠鏡は遠眼鏡(とおめがね)として江戸中期には日本でも作られるようになり、軍事や測量、天体観測のほか景色を眺める目的で、幕府・大名だけでなく庶民の間にも広まっていきました。

一方、顕微鏡が初めて日本に輸入されたのは、望遠鏡よりずっと遅く、オランダの貿易商により1750年頃とされています。1765年に後藤梨春が著した「紅毛談(おらんだばなし)」には「虫目がね」として顕微鏡が紹介されています。1781(天明元)年には日本最初の木製顕微鏡が大阪で作られました(図30、製作者は小林規右衛門、島津創業記念資料館蔵)。また1787年に森島中良が著した「紅毛雑話」には、「ミコラスコービュンの図」として顕微鏡(むしめがね)の絵と蚊や蚤、ぼうふらなどの観察スケッチが描かれています(図31, 32、作画はいずれも司馬江漢)。

図30
図31
図32

さらに宇田川榕庵は、シーボルト P.F. von Siebold(オランダ)から贈られた顕微鏡で、1833(天保4)年に「植学啓源」を著しました。この中には「細胞」も記載されています。同じ年には古河藩主・土井利位(としつら)が顕微鏡で雪の結晶を観察・記録した「雪華図説」を出版しています。

図33

こうして日本における自然観察や記録は、中国の流れを汲む本草学に基づきながらも、顕微鏡などによる実証的な観察を通じて西洋の博物学的な知識と理解も進んできました。また顕微鏡によって動植物や自然の美しくも不思議な物や形は、当時の日本人の興味を刺激し、文化・芸術にまで影響を与えました。浮世絵などに描かれた雪華文様の着物(図33)・道具が当時の流行を物語っています。幕末の頃になると、オランダ医学が盛んになり、入手しやすくなった顕微鏡を使う医者も徐々に増えてくるようになり、実用的な先端器具としても使われるようになりました。

明治時代に入り西洋文明の導入が盛んになると、顕微鏡は科学・技術の発展に有効な機器としての認識も深まり、多くの大学や研究・教育機関で顕微鏡を使った教育も始まりました。1877(明治10)年以降から医科器械業者により顕微鏡は商品としての輸入が始まり、1887(明治20)年頃からは、医療や養蚕などの需要の高まりから性能の良いツァイス、ライツ、ライヘルト製の顕微鏡の輸入が増え、輸入業者も店に在庫を持つようになりました。当時は高価なツァイス製よりもライツ製の方が売れ行きはよかったようです。